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中川 伸とフィデリックスの1 中川 伸

 無線と実験誌が中川 伸とフィデリックスの遍歴を取り上げてくれることになり、それらをまとめておくをこととなりました。フィデリックスは設立してから運に恵まれ、ずっと順調だったので遍歴は自慢話のように聞こえるかもしれませんが、実はこれによって若い人が起業するきっかけになれば、それこそが最も喜ばしいことです。文中にもありますがマックトンのカタログが私を起業させるきっかけとなりました。
 私は1948年生まれですが、父は電気に詳しい通信兵、4歳上の従兄はアマチュア無線をやっていた環境で育ちました。小学2年生でゲルマニウムラジオを作り、5年生で5球スーパーを作りました。この頃、父の同級生が電話工事会社をやっていて、人手が足りない時に旅館のインターホン工事の手伝いを夏休みにしました。これで受取ったのが今の5万円位でした。どうすれば良いかを父に聞いたら、自分で働いた金だから好きに使え!と言われました。
 この言葉により近所のラジオを直しては小遣いを貰ったりとか、人生が変わるきっかけになりました。中学生の時にアマチュア無線の免許を取りましたが、その前に音楽好きな私はすっかりオーディオにハマっていました。高校生になると私は三重オーディオ協会の会員になりました。そこではアンプを作って欲しいという音楽好きな社会人たちからの依頼を受け、アンプ制作をしました。この頃には、武末一馬氏や百瀬了介氏の本は熟読し理解していました。
 会員特権はヤマハエレクトーンの中古6CA7が100円で何本でも入手でき、近所には特注トランスを巻いてくれる所がありました。そんな訳でMARANZ-8Bを3結にしたようなタイプは数多く作りました。プリはMARANZ-7かDYNACOのPAS-3Xに似たタイプが多かったです。なのでオーディオを楽しむ小遣いはそれなりに得ていました。この頃マックトンのカタログには回路図が載っていて、その造りから、頑張れば自分でもオーディオメーカーが作れそうな気がして、社長になる夢が生まれたことにはとても感謝しております。高校2年の時です。
 中部工業大学電子工学科(現中部大学)の頃もオーディオに明け暮れており、トランシスタパワーアンプを作りましたが、なんとか歪みをゼロにできないかと考えていました。通学中のバス中で思いついたイメージが、ボリュームを左に回せば負の歪みになり、右に回せば正の歪み、中間で歪がキャンセルされて0になるというものでした。回路を考え、計算すると上手く行きました。そこでソニーに手紙を出すと特許出願してからが望ましいが、面倒なので判断は委ねます。往復の新幹線代などはソニーが負担します。ということで2回訪れました。
 1回目は特許の相談と原理の説明をしました。2回目には私が回路を組み立て、実際に働かし、歪みが打ち消されることをKROHN-HITEの4400A発振器とHP社の333Aという歪計で確認して貰えました(因みに私が発案したこの技術と同じものが後に何故かDENONからダイレクトディストーションサーボ回路として発売されました)。今考えると、たった1日で実験結果が出せたのはほぼ奇跡です。その時、N課長からソニーに来ませんか?と誘われましたが、超難関企業だったので、私は「試験が難しくてとても入れません。」と答ると、「試験は知らない人に対して行うものなので、あなたの場合はもう必要ありません。」と言われ、それで退屈な大学は2年の終わりで中退し、1969年に無試験入社することになりました。

 写真の説明 左は高校3年生の中川 伸 右はTA-1120Fの写真

 

 いきなり担当したのがフラッグシップモデルTA-1120Fのイコライザー部の設計でした。中間アンプ部はS氏、パワーアンプ部はH氏が担当し、他にデザイナーと機械設計と基板設計が加わりました。この回路ですが、初段がFETの差動。2段目がインバーテッドダーリントンの差動で、コモンモードのフィードバックを掛けてバランスを向上させています。あたかもA級のBTLのような動作なので、電源電流の変動は無く、この考えが1980年発売のLB-4に生かされています。因みに、TA-1120Fはイコライザーアンプも中間アンプもパワーアンプも出来が良かったので、当時のトランジスターアンプ群とは一線を画すキメの細かい滑らかな音質ということで、大いに注目されたました。
 この頃、個人的に使っていたものはヘッドアンプがTX130(後に正式名称2SK35でパッケージが変わり2SK43)の0バイアスによる電池式で、プリアンプはTA-1120Fのイコライザー部と同様のもの、パワーアンプは初段がTX130の差動、2段目はJRCの2SA621の差動、出力段は2SA527と2SC895とTX183(後に正式名称2SD88 ?) 2個を組み合わせた準コンプリメンタリーでした。この1969年時点で、すでに10W位のA級DCアンプにしていました。ソニーゲストハウス(実質的には盛田昭夫氏の自宅)のステレオの調整にはスピーカーをやっていたW先輩と4回ほど伺いました。この頃、高城重躬氏邸にも伺え、詳細内容は別な機会に述べますが、箱鳴りも、もたつき感も無い軽くてスピード感の有るとっても生っぽい音でした。オーディオマニアが好むズドーン・ドシーンでは無く、プンの後に包み込むようなフワッなのでプファって感じのすばやい低音でした。
 私は独立をしたい気持ちが強かったので、親には2年ほどで辞めるつもりだと伝えていましたが、それが9ヶ月に縮まりました。そのきっかけはデジタル班というのができて、将来はきっとこの方向になることを確信したからです。そこで最も小さいコンピューターメーカーを探して1970年に入りました。米国のdigital(DEC)社のPDP-8や11のコピーに近いAICOM-C3やC4を作っていたアイ電子測器です。そこで周辺機器やデジタル回路の動作を学び、12bit逐次比較ADコンバータのリニアリティー調整から始まり、ログアンプ、アンチログアンプ、サンプルホールド回路等を設計しました。
 仕事内容はバラエティに富んでいてとても興味深く、社長はバッハのカンタータが好きとかで、話すととても面白いのですが、商売下手な技術屋さんなので従業員は豊かではありませんでした。私は社長になる夢があったので、営業の勉強をしなくてはと思い、平凡社の百科事典販売をしていた日本知識産業センターへ1971年に勤めました。飛び込みセールスは最も苦手で、2ヶ月は全く売れませんでした。しかしノウハウが身に着くにつれ普通に売れるようになりました。ここでの経験が今にしてみると最も役立っているのかもしれません。さらに国際感覚も身につけたいということで外国からのハイテク機器などを輸入する理経(現RIKEI)に1971年に入りました。外国籍のタンカーにレーダーとコンピューターを連結することで衝突を回避する装置を取り付けるべく中東にまで行きました。営業担当はシンガポールで降りてしまい、以降はめちゃくちゃな英語でなんとか自力で飛行機に乗って帰れたことが会社に戻ると驚かれました。
 ここで扱ってる機器にはトランスとホール素子を使って直流をも伝送するアイソレーターとか、アバランシェ効果を使った超高速パルスジェネレーターとか世界初の実用的なインクジェットプリンターなど最先端技術がゴロゴロしていてとても刺激的でした。そこでも音声認識用に使う磁気ドラムに読み書きする回路設計をしました。ここにはビジネスの達人たちが多く居て、スピンアウトして成功した人は何人もいます。この雰囲気も役立っているものと思います。

 

 その頃スタックスがコンデンサーカートリッジ用のアダプターでPOD-XEを作っていてその中にアンプを入れたいということから、試作品が気に入られ縁があってスタックスに1973年に入ることになりました。ここではDA-300、SRA-10S、SRA-12S、CP-YとCP-Y用のアダプターといったものを設計しました。後にDA-300と同じ回路のままでコンパクトにしたDA-80やDA-80MをK氏がアレンジしました。スタックスはデザイン会社を使っていて、プロのデザイナーとの打ち合わせ経験からデザインの重要性はよく理解できましたが、センスを吸収できたのがほんの僅かだったのは残念なことです。スタックスの創業者である林尚武氏はいつも究極を目指した偉大な技術者です。
 でも、そろそろ独立ということになり、大学にいた時に親しくして貰った呉服店を経営している人に相談しました。すると会社を作るのは簡単で、後からでも出来る。最も大切なことは魅力的なものを作って、売って利益を出すことが先決。それができなければ赤字で倒産するから会社は作っても無駄になると言われました。それで1976年に個人事業フィデリックスを27歳の時に立ち上げました。後から分かったことは、邱永漢氏も書いていますが、起業は若いと非常に有利で、年を重ねるにつれ頭が堅くなりどんどん難しくなります。Microsoft、Apple、Google、softbankみんな若くして始めました。スポーツでも競技による引退年齢はあります。
 設立の頃、マークレヴィンソンからJC-1と言うローノイズのヘッドアンプが発売されました。このローノイズ技術はソニー時代にST-5000やST-5000Fを設計したN氏から教わっていたのでよく理解していました。そしてできたのが、MCヘッドアンプLN-1で入力換算雑音電圧-157dBVというFIDELIXのデビュー作です。即ブームになったので順調なスタートとなりました。まもなく税務署から白色申告より青色申告が有利と勧められ、変更しました。ソニー時代に使っていたTX130を使ったFETの0バイアスのヘッドアンプと同様のものをLN-1の弟分LN-2として製品化しました。この後の1979年に有限会社フィデリックスとなります。LN-1以降の製品情報はHPにあります。続く。(2016年2月4日)

  
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